昭和44年4月4日涙の宇高連絡船で四国高松を離れてからというもの、4月4日は私にとってどうも苦手な日付となった。本四架橋が何本もできて、電車にのったまま瀬戸内海を渡ることができる世となり、連絡船で蛍の光が流れて紙テープを投げて別れを惜しむなん…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。