otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

幼年時代

私にとっては、我が人生の中で、数少ない印象に残る日のひとつが、
4並びの昭和44年の今日。
4月4日がめぐってくるたび、なんだか胸が締め付けられるような気持ちになる。

宇高連絡船が岸壁から離れていく、
デッキに流れる「蛍の光」、
紙テープの先の友達の顔がなみだで見えなくなって、
やがて嗚咽がひどくなって、私はデッキにしゃがみこんでしまった。
立ち上がった頃には、テープは切れていた。

みっともなく号泣した11歳の私が、いまでも見える。
なぜあの時あんなに泣いたのだろう。

父の転勤で、四国高松に6年間住んだ。
5歳の私にとっては、四国はまさに海の向こうの地、
―まるで異国のようなことろだった。

なにしろ、はじめは言葉がわからなかった。
遊びに来た近所の子が、夕方「いぬ、いぬ」といって帰っていった。
私には何がなんだかわからなくて、
犬といわれてとても傷ついた。

でも馴染むのは案外早かったように思う。

田んぼの真ん中の官舎は、
マッチ箱のようだった。
アパートなのに五右衛門風呂が各家の外付けでついていた。
家には電話もなくて、
母は用があるときは、近くの万屋まで電話をかけにいっていた。

屋島の近くの春日川というところに住んでいた。
海辺には塩田の後がのこる、静まりかった瀬戸内の町外れ、
春にはレンゲソウの絨毯があたりにひろがった。

常に海のにおいがしていた。
駅の途中の養豚場のにおいが嫌いだった。

野犬収容所から逃げてくる野良犬を、
近所の子達とこっそり土手で飼ったりした。

琴電はことことと・・・
朝の満員時は、手動のドアが閉まらなくて、
鉄橋を渡るたび、足元には川面が見えていた。

数年たって、街中の官舎に移った。
栗林公園が近くて、よく行ったなあ。

我が幼年時代は瀬戸内のなぎの如し。

今日は静かに過ごそう。
幸い、昨日までの春の嵐のような風もおさまった。


●誰かさんのおかげですっかり有名になってしまったCeltic Woman.

でも今日のような日には、彼女たちの澄んだ声が染み渡るから、一日中聞いていよう。