otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

停車場有情

otobokecat2007-06-27

NHK美の壺』で中仙道をとりあげた際、谷啓氏が降り立ったのがこの「信濃追分」駅。かつてETV特集立原道造の特集をやったときにも、場面はこの駅から始まった。とりたてて趣のある駅でもないのだが、ずっと変わらずにいるという点で、次第にそれが一つの価値になってきている。しいていえば外のトイレなどはだいぶ鄙びていて、これがいいという人もいる。わたしはそこまでマニアではないのだが。
新幹線ができてからは、もっぱら軽井沢駅に降り立つようになってしまた。次は佐久平駅なので、ここで降りるしかないのである。かつては中軽井沢駅下車だった。
いまや信濃追分駅とほとんど同格になってしまった中軽井沢駅だが、皇族もこの駅を使っていたので、小さな駅なのに貴賓室があった。草津方面へ抜ける道が、国道十八号線を横切り中軽井沢から北にまっすぐ伸びていて、中軽井沢で降りてバスやタクシーに乗りこむ人は多かった。夏は軽井沢駅中軽井沢駅の二つに特急が止まり、軽井沢の玄関は二つあったことになる。
三つ目の信濃追分駅はというと、止まらない特急も多かったし、中軽井沢が終点の『そよかぜ』などもあった。直江津まで行く急行『妙高』が辛うじて停まったくらいで、昔も今も人の気配があまりない駅である。

◆『停車場有情』水上勉司修/画 朝日文芸文庫 1996
ブックオフで見つけた。あいにく水濡れ跡ありだが、わたしが読む本なので問題ない。氏の原点である「小浜線若狭本郷駅」から始まって、28の駅について書かれてある。その27番目に「信越本線軽井沢駅 変わる信濃路」がある。

駅舎が頑固に古い木造建てを守り抜いている。この見識を私は愛好している。

とある。軽井沢駅はもはや信越本線ではなく長野新幹線の一駅であり、同時にしなの鉄道の始発駅であり、木造ではなく、味気ないコンクリート造りの白い建物だ。
特急の止まる駅らしからぬかつての軽井沢駅は、JR中央線の旧国立駅に似ていた様に記憶している。
水上勉は停車場に佇んで、雑踏の中で変わりつつある高原の町を憂いている。水上氏も軽井沢の住人であった。その生活ぶりは『土を喰う日々』に詳しい。晩年は御牧村のほうに移られた。変わっていく軽井沢が見たくなかったのではないか。
芸能人が軽井沢に別荘を持つ時代になって、静けさや土地の広さを求める人はこの町を脱出していった。以外にも体調が管理しにくい土地でもある。玉村豊男氏もその一人。皮肉なことに氏の本は当店の一番人気かもしれない。農園からの手紙―イラストとエッセイでつづる (中公文庫)