otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

堀辰雄と室生犀星

otobokecat2010-05-29

昨日は5月28日は堀辰雄の命日で、多恵子夫人と相談の上、数年前にこの日を「のいばら忌」と称することにしたと本日の講師:相馬正一先生がおっしゃっておられました。霧もまきがちなこの時期、高原の冷たい空気の中でも凛としてノバラが咲いており、けなげなようでもとげに守られて強いあたりも、最後まで生き抜いた堀辰雄の精神に通じるものがあるように思います。作品にも良く出てきます。

今日は堀辰雄文学記念館の今年度の第一回緑陰講座がありましたが、テーマ「堀辰雄室生犀星」もまた、多恵子夫人と相談の上決められたそうです。このように今まで多恵子夫人は何から何まで面倒を見てこられて、堀文学とともに夫人のお顔を拝見したいと毎回多くの方が講座に参加していましたが、今回初めて多恵子夫人の同席がない会となりました。ついに其の日がきたかという感じです。代わりに御養女の和世さんが同席されました。相馬先生の横には、お葬式で使われた多恵子さんのにこやかなお写真とノバラの花が活けてあるささやかな花瓶が置かれてありました。
相馬先生の講演は、犀星の書いたものから、堀辰雄に関するものを丹念に拾うことで、とうに文学史を忘れている私にもわかりやすく、犀星と堀辰雄の関係を再認識することができました。
相馬先生がおっしゃったように世間的には、とかく師と目された芥川龍之介よりも、実際は犀星と堀辰雄の関係が公私に渡りとても濃かったということが、多恵子さんの随筆の中にもよく描かれています。堀辰雄が亡くなった後も、その一人暮らしを支えていたのは、犀星とその一家で、その存在は何かにつけ大きかったと思います。
犀星が堀辰雄の没後まもなく書いているこの一文からも、堀辰雄はいい師に導かれたと言うことができると思います。そのことを一番良く理解していたのは多恵子さんだったのです。

堀は詩人のいちばんすぐれたものを沢山に持ちながら、・・・・書かずに持ってゐた詩はことごとく小説の中につぎこまれ、小説に書きこんでしまったやうな作家であります。(「文芸」昭和28年9月号)

講演が終わった後で、ご親族:和世さんとお話させていただく機会に恵まれました。多恵子さんの最も近くにいた方だからこそわかることなど、いくつか伺うことができて、縁というものは不思議とぎりぎりの線でつながっていくものだと思ったことでした。

堀辰雄文学記念館の敷地内にある旧居の庭先の藤棚の藤が咲く頃なので、緑陰講座の終わった後に見にいったら、霧がまいていました。これから咲こうというところの花色は「白」でした。山の藤は藤紫がきれいですが、棚に仕立ててあるものは、白も素敵です。
昨年この本が出ていたことに気がつきませんでした。これから読んでみます。
■『村上春樹横光利一中野重治堀辰雄現代日本文学生成の水脈』
竹内清己著 鼎書房 2009


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