otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

挑戦者の道

2001年前、小学六年だった少年Rに出生国を見せたいと思い、アメリカ合衆国に家族三人で旅行しました。子ども料金最後のチャンスです。向かった先は、時間の都合もあり西海岸でまだ行ったことのなかった「シアトル」。この旅には様々な目的がありましたが、そのうちのひとつがマリナーズ一年生のイチローを現地で見ることでした。
ホームシアトルで試合をする日を選んで、チケットも購入して行き、アメリカに到着してすぐにセーフコ・フィールドに向かったと記憶しています。7月だというのにやたらに寒い日で早速マリナーズのフリースを買ってスタンドに座ると、まだ入団して間もないはずなのに、沢山のちびっ子たちが51番のついた野球帽やTシャツを着て、甲高い声で「ウィ・チ・ロー」と応援しているのには驚きました。(時差ぼけも吹き飛びました。)彼はもうすっかりシアトルに馴染んでいたのです。
守りに入ると外野ですから、観客のすぐ近くにいるわけで、度々外野席を振り返って、ファンサービスをしていました。なるほど人気が出るはずです。私達はそそり立った外野の上のほうでしたが、外野にも一階席があって、そこへ行ってみると、ものすごく間近で選手が見られました。
日本以上にスポーツは地元ファンが支えているアメリカ。特に野球はアメリカ人にとってとても身近な存在で、そのアメリカ人のお眼鏡にかなったのですからさすがです。
当時大魔神;佐々木選手もマリナーズにいて、セーフコ・フィールドには寿司バーもあり、ここには「日本」がとても上手く浸透しているように見受けられました。
シアトルという町はこじんまりしていますが、全米でも屈指の美しい街として有名で、国立公園も周りにあり環境としては抜群です。ここでイチロー選手は頑張っていくんだろうなという予感がありましたが、まさか11年にもなるとは。
私達が訪ねた一月後にあの9・11が起こったのです。私にとっての第二の故郷であったニューヨークは遠くなりました。

子ども料金でいった11歳だった少年Rも、中学・高校、そして大学生を経て、今年社会人となり、自分の力でアメリカへ行くことが出来るようになりました。11年間というのはそれほど長〜い月日です。その間、良いときも悪い時もファンに支えられたというのは、移籍会見でも察することができましたが、その地を去るというのは大きな決断だったことでしょう。
ヤンキースはニューヨークのチームです。おそらくアメリカ人にとっては、ニューヨークはもはやただの大都市ではないはず。
そのニューヨークへ行くということは、私には感慨深いものがありますが、ストイックな彼はおそらく勝負に行ったのでしょう。
極みに立つには、避けては通れないことなんだと思います。

さあ、ロンドンオリンピック
さまざまな挑戦者達の姿を、時差に負けず見たいと思います。