otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

タペストリー

ついにパンフができてきました!!
今年も興味深いイベントや展示が詰まっています!
油や内で仕事をしていて思い知ることは、この寒村の一旅館は、実に様々な人とつながりがある場所であるということです。
やっぱりほんとに磁場なんだと、その不思議になるくらい多くの縁を感じながら、半年間を過ごします。
なんて、恵まれているんだろう。

3月20日に今江祥智氏が83歳で亡くなりました。
本屋店内にも常に今江氏の本は数点あり、ちょうど居合わせた常連さんと今江氏の話をしている中で、ふとパソコンで検索をかけてみたら、なんと今江祥智氏が若き日に油屋に見えていたことが判明しました。(下記参照)ほらね、ここにも縁があったのです。

児童文学者としての印象が強いものの、意外にも児童文学に関わるようになったのは、大学を出たあと中学の英語教師として赴任した際に図書館係となり、それがきっかけで児童文学の魅力に開眼したということもわかりました。研究会の先輩であった(現福音館書店会長)の松居直氏の勧めがあって、童話を書くようになるのです。
意外に知らないものです。

今江 祥智(いまえ よしとも、1932年1月15日 - 2015年3月20日
前略
1950年、同志社大学[2]文学部英文科に入学。上賀茂の医師宅に下宿。ヴェルコールやクロード・モルガンやルイ・アラゴンやアランやフランソワ・ラブレーなどの仏文学に傾倒し、辰野隆渡辺一夫など仏文学者の著書を愛読、さらにロマン・ロラン研究会を設立して顧問に新村猛講師(当時名古屋大学教授)を迎える。この研究会で知り合った上級生の松居直(のち福音館書店会長)から勧められて立原道造堀辰雄を愛読。このころ、サークル仲間の京大生尾埜善司(のち弁護士)の招きで信州追分を旅し、立原や堀にゆかりがある油屋旅館で、偶然に福永武彦中村真一郎と逢う。

1952年、文学研究会に所属し、「同志社文学」に評論を発表。田宮虎彦堀辰雄桑原武夫などを扱った内容。1953年、「同志社文学」に短篇「夜と人と」「夢の中では瞳は空色になる」を発表。当時はとりたてて児童文学に関心が向いていたわけではなかった。和辻哲郎『古寺巡礼』の影響で奈良や京都の古寺を巡ったのもこの時期のことである。

卒業論文にはヘンリー・フィールディングを、次いでロバート・ネイサンを扱おうとしたが、いずれも教授に拒絶されたためハーバート・リードに決め、英文による卒論「批評家ハーバート・リードの諸相」を提出して、1954年3月、大学を卒業。同年4月、新村の世話で名古屋市の桜丘中学校に英語教師として赴任(初任給9800円)。初めは新村家に寄寓していたが、やがて新出来町なる覚音寺の庫裡の二階六畳に下宿して学校に通勤。この時期の体験は『牧歌』の材料となった。中学校では担任を持たされず、図書館係に任ぜられ、岩波少年文庫の『ムギと王さま』(ファージョン)、『くろんぼのペーター』(ヴィーヘルト)、『おにごっこ物語』(エーメ)、『エミールと少年探偵たち』(ケストナー)、『星の王子さま』(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ)といった名作群と出会ったことがきっかけで児童文学の魅力に開眼。同年、詩集「四季」および短篇集「野の娘」「仔馬」(いずれもガリ版刷りの私家本)を出したことがきっかけとなり、同人誌「近代批評」に迎えられる。

以上、ウィキペディア フリー百科事典 より引用 

童話も数多くありますが、私にとっては、今江氏の翻訳した洋書絵本に、いくつかお気に入りがあります。たとえば、

ぼちぼちいこか

ぼちぼちいこか


トミー・アンゲラーの「すてきな三人組」など。


ことしもまた、縁の糸をつむいで、新たなタペストリーに編みこんでいければいければと思います。

ふと見た中里恒子さんの中公文庫にも「軽井沢と追分」という文章がありました。( 仮寝の宿 (1979年))