otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

報道について(今日はまじめに)

 今日は少し真剣に書いてみようと思う。

 情報がこれだけ溢れている現代、沢山あるから大いに参考になっているかというと、どちらかというと、単にその情報に振り回されているばかりではないだろうか?

 昨今の子供を巻き添えにした事件に関していえば、特に事件の詳細などは一般に報道する必要どころか、むしろ報道すべきではないと思っている。事件発覚から、逐一事細かく報道されると、まだ犯人が捕まっていなくとも、現場から遠ければ遠いほど事件は他人事であり、まるで推理ドラマを見ているかのごとく興味だけが先行して行くように思う。
 犠牲者の同じくらいの年齢の子供がいるとか、孫がいるとかといった人たちへは、情報は何らかの警鐘になるかもしれないが、これはたとえば教育現場や、PTAを介して、もっと大事な情報を広めることが出来ることであり、つまりマスコミがしなくても良いと思うし、国民総刑事化は、犠牲者の肉親にとって耐え難いことに違いない。

 犯人逮捕に必要な情報収集が見込める場所以外では、事件解決まで、あるいは事件が解決しても、詳細までは報道してくれる必要はまったく無いと思う。
 先日の小学生1年生が行方不明になって、離れた場所で遺体で見つかった事件も、どういうところで、どういう状態で見つかったとか、血痕があったとか、犯人の痕跡がどうのこうのといった報道は、どうせ週刊誌はかぎつけるのだろうが、誰でも目にするTVで、声で繰り返し報道したり、新聞が活字に書いたりすることは、百害あって一利なし!!
 それどころか、これらの報道は新たな犯罪を産んでいるのかもしれない。犯人からろくな謝罪を聞くことも出来ない現実は、はじめだけ火がついたような報道をしていて、新たな犯罪が起きたら、さっさと次の事件に移ってしまう。きちっと最後まで報道されなかったりして、いかにそれが理不尽であるか、犯罪を犯すことの愚かさについて、語られることはまずない。チャンネルはほかへ回されてしまう。犯罪の手口とか、残忍さについてだけ執拗に語られることは、以外にそのことだけに関心を持っている人にはそれもまた情報であるということを気づくべきである。
 塾の教室に防犯カメラが付いていることなど、言われなければ知らなかった。ホームセンターで刃物等が買いにくくなったとばかり思っていたのに、包丁にあまり関係の無い学生が、包丁を2本もらくらく買えてしまうことも驚きだった。あれだけ報道がされていたって、過去の事件から何も学んではいないではないか。

 過去の事件のときに、新聞に投書したけれど、掲載はされなかったので、もう一度書く。
そろそろ目を覚まして欲しいと切に願う。