otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

縁の有る色々

otobokecat2006-06-16

 NHK日曜日の「新日曜美術館」は、興味がある特集のときのみ、見るようにしている。先だっては坂本繁二郎が取り上げられていた。その前は丹下健三だった。
 
丹下健三といえば、私が小学生時代をすごした香川県の県庁も丹下の初期の作品(1958)だったし、晩年の大作といえば、東京都庁である。それ以外に、戦後の日本の記念碑的な建築物は彼の建築であるものが多いのに驚かされる。中でも際立っているのが、東京オリンピックの代々木にあるアリーナ(国立屋内競技場)と、広島の平和記念館である。

 中学生・高校時代スケートに凝っていた私は、代々木のスケートリンクには良く通った。内部が打ちっぱなしのコンクリートで、大会のときは違うのだろうが、一般開放のときは照明が暗めで(壁が灰色で反射しないのでよけに暗い)、だだっ広くて一周するの大変で、あまりいいイメージはなかったが、大抵のスケートリンクは天井が低いのに、ここは屋外のような広がりがあったことを記憶している。つり橋の工法だったのだが、テレビで空からその全景を見て、美しさに今頃気がついた。

 広島の平和記念館は、いつも8月の記念式典のときにテレビに映し出されるが、これが原爆ドームに向かって作られていること、記念式典のときに、平和の炎の揺らぎの向こうに、ドームが望めるという発想は、当時丹下唯一のものであって、ドームの存続さえ当初は危うかったことを知って驚いた。彼の建築をする上での毅然としたコンセプトが、生涯を貫いていたことに驚く。

 都市の概念が壮大すぎて、日本では実現しなかったものも多く、むしろ海外でその発想が生きたという。東京の都市計画では富士山から真っ直ぐ線が引かれていたという。もし着工したら、東京からもっと富士山が見える街が実現したのであろうか?
  
 母が入院したとき、病室の窓から、ビルとビルの間にぽっかりと富士山が見えて、ずいぶんと励まされたと言っていた。山や、シンボリックなものを向いて作られた街だったら、戦後の日本の国民性もまた変ったかもしれないなと思ったりする。


坂本繁二郎のことは、いくつかの絵に見覚えはあったが、正直なところ実はあまり知らなかった。が、この人もまたひとつのしっかりとした柱を持った生き方をした人だったのだ。フランスに渡り、なかなか目指すものが見つからなかったときに、コローの絵に出会い、初めて自分の向かう方向に開眼する。
 「帽子を持てる女」よりオリジナリティとしてつかった司会者いわくの「エメラルドグリーン」が、独特の空気をキャンバスに生み出すようになる。私にはこの色が「エメラルドグリーン」には見えない。むしろもっと白のかかった色で、翡翠色、もしくは青磁の色(秘色;ひそく)といったほうがぴんと来るのでは?

 たまたま私の誕生日【5月20日】色がこの色にとても近く、しかもこれは私の好きな色のひとつなので、エメラルドグリーンと表現されると、異議を申し立てたくなってくる。エメラルドグリーンもまた好きな色のひとつだが、こちらはその深い緑はどこか山奥の湖面にのみ見られる神秘的な青味がかったみどり色―そしてその透明感がいのち。

 (コンパクト版)『色の歴史手帖』(吉岡幸雄 PHPエル新書 2003)によれば、「緑青(ろくしょう)」もこの色に近い。ちなみに緑青は孔雀石のみどりの部分から作られるのだとか。
 余談だが、時期的にみどりの美しい今日この頃だが、このみどり色は植物から染料としては、再現することはできないのだという。つまり自然のみどり以外は、天然の「みどり」はないということだ。