otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

水脈を掘り当てて、

otobokecat2006-08-24

■追分の家の裏には小さな池がある。2mx3m深さ2mぐらいの何の変哲のない四角い池で、気がついたときからそこにあった。水は常にだいたい1mぐらい溜まっている。
 追分はまだ下水が完備していなくて、家に浄化槽を付けるにあたり、池の4m左手を昨冬に掘ったところ、なんとその池の水が全て抜けてしまった。どうやら地下水脈があったらしいのだ。
 水が抜けて水底が見えてわかったことは、どうやらこの池は江戸時代からここにあって、石組みの一番下は木組みになっていた。だが常に水に浸かっていたため、朽ちることもなく石組みを支えていたということらしい。へえ。
 池の水はとりたてて清水にもみえないが、池の北西の角の底からわずかな湧き水があるらしく、真冬にもそこだけ氷が薄い。そんなこともはじめて気がついた。
 どうやら浅間山からの緩斜面の下を、伏流水が南西に向かって流れていたらしい。ちょうどその行く手の方角には、村の「御膳水」がある。
 途中にこのちっぽけな池があり、掘った穴もまたその線上にあったということらしい。でもこの池が溢れることもなかったと言うことは、つまり水の流れが有ったと言うわけだ。
 そのなんだかとてもいけないことをしてしまったような気分である。
 浄化槽を埋めた後、池の水はまた溜まり始めた。ところが今夏の長野県に水害をもたらした大雨の時以来、どうも土地の排水が上手くない。土地の神様を怒らせてしまった?のではないかとちょっと心配。地鎮祭はやったんだが・・・。

■ヤンマぐらい大きくなると、たかがトンボとはいえ只者ではない感じがする。池からの使者?【考えすぎ】写真だけ撮らせてもらって、丁重にお引取り願いました。 

■22日に亡くなられた若月俊一先生のことについて、今朝のラジオでも触れられていた。それを聞きながら、あれこれ思う。
 先生の功績に触れるとき、佐久で医療行為を始められた戦争直後の日本の貧しさを考えないわけにはいかない。「予防」や「衛生」といった言葉は、今の日本にはもはや死語になりつつあるかもしれない。
 わずか60年間の急速な変貌ぶりは、異常ともいえるのではないだろうか。
 早朝、お別れの車が病院を回られたとのことだ。先生の掘り当てた「地域医療」という泉が涸れないように、どうか佐久の広い空から見守っていただきたいものだ。