otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

追分が原っぱだった頃

海野さんの「小諸日記」の1月24日のところに、追分の1970年代の頃のことが記述があり、なんとも懐かしい。
http://eco.goo.ne.jp/nature/unno/diary/200701/1169630468.html
当時追分はまだ原っぱであり、そこは蝶の宝庫として有名であった。そろそろ樹が大きくなり始めている頃だったが、今ではすっかり木の下道となった1000m林道も、当時は夏など太陽がまともに照りつけやたらに暑く、舗装がしていなくて埃っぽかった。

蝶を採集することを生業としている人がいたとは。油屋旅館の裏手あたりで黄色いワンピースを着て走り回っていた私が、海野青年とすれ違っていたかもしれなかったのか・・・。確かに、山には補虫網を持った人が多く入っていた。亀田やで売っているようなちゃちな虫取り網ではなく、長い立派な補虫網をもった地味な服装の男の人が。
実は私は小、中学生だった頃は無邪気にも、草むらに石を投げ入れ、そこから無数の蝶が飛び立つのを眺めたりしていた。なんともやんちゃな行動で申し訳なし。とにかく蛾や蝶は多かったなあ。日が沈む頃以降は、おちおちベランダでBBQなどできないほどだった。
木陰のない土地だったので麦藁帽子は必需品で、壁につばの広いカラフルな帽子がいくつもかけてあっただったのも、今となっては懐かしい。
麦藁帽子を被った子も、叢の蝶も、誇りっぽい白い林道も遠い夏の記憶となった。