otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

なくなった桃の木

otobokecat2007-07-08

■ぼけに実がつきました。 

アパートの近くに、大きな桃の木が数本植わっているお宅があった。
細分化された土地には大きな木はとても植えられない。たいがい敷地の真ん中に建物が立ち、家の周りには歩けるほどのスペースがあるのみで、庭はないが駐車場はあるというのが一番多いタイプのように見えるが、戦後すぐの頃は、家の大小に関わらず敷地の半分は庭というのが一般的だった。庭に面して縁側があった。(これは東京、世田谷区や杉並区あたりの話だが。)
その桃の木の家は、高い塀に囲まれており庭の様子は定かではなかった。しかしその桃の大木が一本に八重でさまざまな色の花がつくという変わった品種で、しかもその色が濃い鮮やかな紅だったので、この家の印象が強く残っている。駅へ向かう通り道にあったので、立ち止まって花を仰いだこともしばしばだった。三本ほどあったように見受けられた
最近、この塀が取り壊されブルドーザーが入り、庭の一部を更地にして、あっという間に車数台が停まれる駐車スペースが出来上がった。
高い塀がなくなり庭が見通せるようになり、桃の木が一本しかないことに気がついた。塀際にあり通りにしだれていた桃の大木がなくなっていた。もうあの賑やかな風情も見られないのだなと思うとちょっと寂しい。
いろいろな事情があるだろうが私が残念に思ったのは、この駐車場がコンクリートにかんかんに塗り固められていたということ。今まで庭で大木が植わっていたことによって、木が太陽エネルギーを吸収し、地面が雨を吸い込み、水分はまた根が吸い込んでいたことになる。これからはここに降った雨は排水溝に一直線ということになる。せめて過水性のアスファルトや、石畳にして欲しかった。予算の都合もあったろうが、補助を出して行うべき。
都市の水害の元凶はこの雨害(排水溝)によることはあまり知られていない。
雨粒がまとまり流れになると、とたんに強大な力を持つ。本来雨はひとまず地面に吸い込まれて、余剰が水溜りになるぐらいが丁度いいのだ。
杉並区では各家庭で雨水をためるタンクをつけることを奨励している。雨どいの先にタンクをつけ、そこに雨がたまり、その水を庭の水まき等に使用できる。雨水で冷凍肉をとかしていたというどこかの肉屋の行為は論外だが、本来雨水は使い道があるものなのだ。
昨今、打ち水大作戦というエコ活動も聞くが、その水を水道の蛇口から汲んでいるようでは、水不足を加速させ、アスファルトに撒いた水は水蒸気となって湿度を増やし、あまった水は排水溝に流れ込み、わずか気温を瞬間的に1,2度下げても、単なんるパフォーマンスでしかない。
この行為によって、環境問題にわずかな関心がむけばとのことだろうが、どうなんだろう??
花粉症の問題も、杉の植林がその原因だけでなく、都会のコンクリート化が大きく関わっていることも是非知られて欲しい事実だ。
天地の力を借りずして、温暖化は防げない。
今日はまじめなエコトークでした♪