しづかな本が、よめるやうに!
書肆アクセスで手に入れた『喫茶店の時代』(林哲夫 編集工房ノア 2002 )をめくっていると、私の気に入っている立原道造の一文〔:林哲夫氏は画讃とよんでいる〕が載っているのに眼が留まった。とりわけこのランプと椅子のカットが良い。 秋も深まってくると、ふとこの一文が浮かんでくる。
最後に「11月26日午前 道造」とあるが、これは昭和13年の11月のことで、長崎へ行く途中に京都に寄ったときに書かれたものだという。進々堂というパン屋がやっていた喫茶店を出た後、臼井喜之介の元を訪ねたようだ。
願いは……
あたたかい
洋燈の下に
しづかな本が、
よめるやうに!
これは、当時24歳だった立原道造が、臼井が開店したばかりの「ウスヰ書房」の芳名帖にはなむけの言葉として書いたものだったのだ。臼井も同世代、25歳だった。本屋だけでなく、出版も手がけたひとだ。
ウスヰ書房(後の臼井書房)の住所は、左京区北白川追分八十七、進々堂は同八十八というから、確かにすぐ隣だったわけだ。
立原道造は翌年14年春に亡くなっているので、これは最後の旅行だったことになる。臼井はこのランプのカットを立原道造の遺品として、昭和15年1月にだした詩の雑誌『新生』再刊第一輯の表紙に使っている。
私はウスヰ書房の住所にある「追分」の二文字にも何かしら縁を感じた。ここもまた往来の中の本屋なのだ。
この本は、林哲夫氏がさまざまな資料を調べて、取り出し、しかもつなげてあるところが凄い。ナンダロウさんが推薦文にもあるように、人名と店名の二つの索引があるのも便利。いい本をアクセスで買えて嬉しい。
■浅間山が初冠雪したとのこと。写真は10月初旬のもの。
◆訃報◆
水泳の木原光知子さんが亡くなった。くも膜下出血。50台だったとは…。
羨ましいようなすてきな体型で中高年向けの雑誌の表紙を飾っていたのに。
ご冥福をお祈りします。
「選手にとって、24時間すべてが訓練の場であるということ」とご自分のスイミング倶楽部のサイトで書いている。自分にも厳しくされていたのだろうに、なんとあっけない!