otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

樹の力

otobokecat2008-04-18

2005-11-13に「ケヤキはなんて。」と言うブログを書いているが、私はこの樹とともに過ごした15年だったと断言できる。
杉並区には保護樹林制度と言うのが有って、この樹ももちろん登録されていたはずだが、その指定がこんなに簡単に下ろされてしまうものなのか?

すでにこの樹の伐採について反対署名活動も始まっているとのことで、私もたまたま「ゴゴシマ屋」の澄子さんに手ぬぐいの色の相談に行ったら、店にその署名用紙が置いてあり早速一枚書いてきた。それによると推定樹齢200年という。
200年もの間そこにあったと言うことは、人間の三代にわたり関わってきた樹であるということで、人間の営みをはるかに超越している。それをおいそれと伐ると言うことは、人間が自然の力に刃を向けるということだ。
やむをえない事情であの樹の生えている場所を手放なさなくてはならない人がいたとして、他の力が、あの木を守ることができないと言うのは、あまりにむなしい。

単に立派だ、シンボルだと言うだけではない。この樹は善福寺川に向かって始まる斜面の際に立っていて、その善福寺川はすでに護岸がかみそり堤防となっている。地形的にみて川付近の土地の安全性はどうなのか。あの台地の下に住んでいる人たちの土地は、あの木がなくなりそこにマンションが建っても安全なのか?
感情的に言ってしまうと私にはこの樹がこのあたりの守り神になっているような気がしてならない。

温暖化が進む中、ゴミを減らしたり、省エネを声高に叫ぶ一方で、落ち葉掃除が大変だと樹を切り、庭をつぶしてアスファルトの駐車場にする。これでは温暖化はそう簡単に止まらない。
自然の力を侮ってはいけない。本来もっと樹に助けてもらうべきだ。木の下が涼しいのは、影ができるからだけではない。葉は太陽エネルギーを吸収してくれるし、蒸散作用で、水分を空中に散布している。天然のシャワーだ。
落ち葉も、舗装の道の上に落ちればゴミでしかないかもしれないが、土の上に落ちればやがて土に戻っていく。

200才の大木はかけがえのない土地の財産だ。200年の間生きてこられたのは、一土地の持ち主の力だけでできることではない。枯れることなく生きてこられたのなら、木の寿命が尽きるまでは、樹に手を触れてはならないと思う。
代わりのものなど、人は用意できるものではない。

詳しいことを調べないままに書いている事をお断わりして置きます。必要があれば今後訂正するかもしれませんが、今の率直な気持ちをとりあえず。

関連HP http://www.gut.co.jp/totoro/about.php
いい写真が沢山載っています。

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