otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

時を遡るが


週末だというのに、どうしても出ておきたい会があり、店をN氏に任せて下山した。
朝7:46に西部小学校前停車に乗るべく天気も良いので30分前に出て、歩いていくつもりだったが、車で送ってくれるという。暖かい部屋の中にぎりぎりまでいて、10分前に家を出たら、なんと車のフロントガラスが霜で真っ白。ワイパーではまったく取れず、スクラッパーで削り取るのに5分を費やし、あたふたとバス停へ。そこへ何時も遅れるバスがこの日に限り1分前には着いたものだから、まさにオンタイム。危ないところだったが無事乗り込む。
バスはまぶしい朝日の中を下っていく。とっくに冷蔵庫の軽井沢で日々モノトーンの中で生活をしていたので気が着かなかったが、碓氷峠を下ったあたりから「褐色」が目に入り、やがて下界はまだ紅葉中であるという事に気が着いた。東京へ着いたら、銀杏並木が金色に染まっていた。ほぅ、まだ色があるのだ。
新宿を回り荷物をロッカーに預けて、浅草に向かう。浅草は随分と久しぶりに降り立った。酉の市があるらしく、誇らしげに熊手を持った人たちが向こうから歩いてくる。六月の東北の地震で土石流に巻き込まれて亡くなった元同僚のお別れ会が行われるのでこの町に来たが、人ごみはあまり得意ではないが、今日は師走を迎える町の喧騒になんとなく救われる思いがした。
地域振興プランナー・観光アドバイザーの肩書きで、全国で活躍中だったが、よりにもよって仕事先で天災により逝ってしまった麦屋弥生さんに相応しく、その会には100人近い方が全国から集まっていた。考えてみると私は彼女と1年半しか一緒に仕事をしていなかったが、女性の少ない職場であったせいもあり、職場で、あるいはレクリエーションも含めてそのわずかな時には近い存在だった。二年後輩なのに、あっという間に頭角を現して、いつのまにか先輩のようだったが。口からは鋭い言葉が飛び出てきたが、根はおきゃんな性格で、可愛がられていた。
お別れ会の当日、全国各地から駆けつけた方からの挨拶や、会場に映写された写真やビデオから、私が職場を離れた後のこの25年間の間に、いかに彼女が仕事で実績を残していたかを知り、正直のところ驚愕した。私の知っていたのは、ほんの一部に過ぎなかったのだ。
ここ数年は栗原市の力になるべく、足しげく現地に通っていたらしい。地震の規模の割には、都会ほどは犠牲者の多くない地震だったというのに、よりにもよって土石流の流れがこの地域の活性に尽力した委員のお二人のいた旅館に向かったという皮肉な結果になり、栗原市のかたがたの驚きと悲しみはいかばかりのことだろう。
各地で現地の人ともとことん語り合う熱血コンサルタントであったので、おそらく多くの人が彼女のつけたろうそくの火を今後とも守っていってくださることと思う。
残念なことに少しは巻き戻った時間も、さすがに5ヶ月前までは戻らない。
この日は懐かしい顔にたくさん会った。彼女が会社の人たちと会う機会を作ってくれたと思う。安らかに眠ってください。そして時々でいいから天から喝を入れてください。

◆ティアーズ・イン・ヘヴン