otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

筆が凍る季節

最近、ブログ更新が遅々としています。
でも風邪は引いてません、怪我もしていません、店も忙しい・・・わけありませんが、しいて言えば寒さにやられています。
堀辰雄がかつて『風立ちぬ』の最終章を厳寒の軽井沢で執筆した際に、軽井沢の冬はインクも凍る寒さだと書いていましたが、住宅事情も改善した現代はさすがにインクは凍らないと思いますが、やはりこの寒さはかなりのもので、ついに追分もそういう季節に突入しました。大概の別荘は11月の末までに水抜き作業を終え、水道の元栓を閉めました。冬の間に家を使う場合でも、一週間ほど留守にする場合は、水を抜く方が無難なのです。特に給湯器の水抜きは必須です。
常住住宅でも、屋外に出ている水道管などには保温のコイルが巻かれて、マイナス10度くらいになると自動的に電気が通じて保温しています。また外の水道の蛇口には不凍栓といって、水面を地面の下におろすことの出来る蛇口が着いています。その昔スキーやスケートに行くと、旅館の洗面所の水道の栓が完全に閉まらないようになっていて、水が少し出ていましたが、今はさすがにそれはないでしょうが。屋外にはまだ手当てが必要です。
月曜日;東京の中央市に出かける朝、いつもよりも早く起きて、日が昇る前に外に出てびっくり!そこにはすべて凍てついて真っ白な世界が広がっていました。ここ数日気温が緩んで空中に浮遊していた水分がすべて凍り着いてしまって、後で天気予報を見たら記録としてはマイナス五度でしたが、我が家の屋外東側についている温度計はマイナス10近くまでいっていました。今期一番の寒さだったと思います。道も木々の枝も葉も真っ白でした。車も真っ白い霜の皮膜で覆われて、雪でも氷でもなくワイパーでは取れず、サイドミラーも天然曇りガラスに。出発前しばらくエンジンを温める始末でした。

ニシキギの実、紅葉はブルーベリーです。そして常緑はツツジ

やがてこの寒さにも慣れてきて、霧氷だ、雪景色だとカメラ片手に白い世界に勇んで出かけていくのですが、今はまだ体が寒さに驚いてしまっています。それでも月曜日朝は、あまりの美しさに出掛けに何枚か写真を撮りました↑ところが、ぶれているのが何枚もあり、やはりこれは寒さのせいでしょうか。
今、気を使うことは、やはり「暖を取る」ことについてで、いの一番はストーブの薪の準備です。暖房の主力はこの薪ストーブです。昨夕も林のなかで白樺の倒木をいくつかに切って、二人で山荘の近くに運んできました。白樺は北欧でも焚き火の着火剤に使われるようですが、実際よく燃えます。程よい太さの白樺が倒れているとちょっと嬉しいのです。白樺を運んでいる私の顔はにんまりしていたかもしれません。そのほかにも焚きつけ用に小枝を集めたり、木をストーブにあわせて切ったりと、最近は本ではなく一本ひいて木に専心している日々です。

つまりインクならぬ、筆が凍ってブログが滞ってますというのが、言い訳であります。どうも「時さえも凍る」という感じがします。
やはりそろそろ冬眠か・・・・zzz。

さる12月5日は加藤周一さんの一周忌。その追悼として行われたラジオ番組(信越放送)が12月6日にありました。張りのあるしっかりした加藤さんの声を聞くにつけても、追分のどこかでばったりとお目にかかって見たかったと思ったことでした。
高原好日―20世紀の思い出から 高原好日―20世紀の思い出から (ちくま文庫) 
■左:高原好日―20世紀の思い出から 加藤周一 信濃毎日新聞社 2004/07
■右:高原好日―20世紀の思い出から 加藤周一 ちくま文庫 2009/02

文庫化することで手に入りやすくなり、もって歩くのにも便利になりますが、単行本の内容がそっくりそのままサイズダウンしたとしても、元の本が持っていた空気は残念ながら文庫本には表現できません。本を世に送り出すときの作り手の気概とでも言いましょうか。紙の質といい、活字、挿絵、装丁、表紙、背表紙、カバー、帯のすべてに表現するものがあると思います。古本屋にたどり着く前に、カバーや帯が取れていたり、紙が黄ばんでいたり・・・。それを古さ、欠陥とも捕らえられますが、また別の時間という風格が加わっていたりもします。つまりどんな本にもそれなりの風格があるというわけです。古本屋を覗くのが好きな方は、そのあたりのことは私以上にご存知だと思いますが。