otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

町内観光日 前編 (長文)

東京の市場に行かない月曜日。天気も良さそうなので、思い切って、町内の視察?に出かけることにして、前日、しなの鉄道の時刻表、町内循環バス時刻表(西・東周り)、軽井沢ガイドブック等をにらめっこして、二時間ほどかけて一筆書きの行程を考えて手帖に書き込みました。
たかが町内をうろうろするだけなのですが、この日車は松本に行っていて車が使えない為、徒歩と電車、バス、あるいは自転車を駆使することになります。タクシーは使いたくないし、サイクリングする元気もない、さりとて公共交通機関は一時間に一本というペースで、しかも時は連休直後、夏季以前の「平日」とあって、この作業はかなり難しいものでした。まだ火曜日よりはましとはいえ、町内バスが、健康施設「木漏れ陽の里」休館日である月曜には、バスの時刻表が別あつらえになるのです。計画段階で軽井沢は車社会で、ここの最大の弱点は足の確保であることをひしひしと感じました。もうやめようかとくじけそうになっていましたが、なんとかルートを確保できたので決行。いやはや海外旅行並みです。
朝9時過ぎに自宅を徒歩で出発。目指すはしなの鉄道信濃追分駅」。9:38発軽井沢行きに乗るためです。自宅から駅まではすべて下り(ざっと標高差50m)なので、新緑と野鳥の声を愛でながら気分良く歩くことができました。所要時間は30分見ておけばまず大丈夫なのですが、つい心配になって急ぎ足(時には小走り)になってしまいました。何しろ一時間に一本の電車なので。やはり早めに到着。ホームで浅間山見物をしながら息を整えて車中の人に。通学時間帯も終わってがらがらで座れました。約9分で軽井沢着。乗車証明書(追分は無人駅)と230円を改札で払って、南口へ出て、ロータリーに停まっているタリアセンの送迎バスを見つけて乗車しました。7月の美術館巡回バスが運行開始されるまで、タリアセンや星野温泉といった大手は独自の送迎バスを運行しているのです。(無料)10時発の乗客は私一人で貸切でした。運転手さんは、車中タリアセンの中の観光案内をしてくださいました。連休中や週末は、渋滞を避けて走るのにテクニックがいるそうですが、今日は道も空いていて10分ほどで到着。これは便利デス!
「軽井沢タリアセン」というのは塩沢地区にある観光施設で、塩沢湖の周辺と道路を隔てて向かいの「軽井沢高原文庫」が含まれます。塩沢地区にはもう一つ「ムーゼの森」という施設もあり「絵本の森美術館」と「エルツおもちゃ博物館」があります。
私はここから追分まで帰り着くには15:53の町内循環東コースのバスに乗るしか手だてがないので、10:15からざっと5時間半塩沢で過ごすことができるというわけで、一人だし誰にも気兼ねすることなくのんびりすることにしました。幸いなことにとびきりいい天気です。
この日のいくつかの目的の一つが、タリアセン内に移築された以前は旧軽井沢にあった旧朝吹山荘「睡鳩荘」をみること。タリアセンのゲートをくぐり湖畔に沿って歩くと浅い緑が眩しく光り、僅かに残る桜がほんのりと色を添えてとても爽やか、その向こうには藤紫色の浅間山が見えます。
水辺に佇む「睡鳩荘」も見えてきました。ターキーレッドの建物が緑に良く映えます。建物の前庭の芝生には鴨が昼寝をしていましたよ、今は「睡鴨荘」?

ヴォーリーズ設計で昭和6年に建てられたこの建物は移築されるにあたり、床の板一枚に至るまで番号が振られて、復元されたそうです。漆喰とペンキは塗り替えられ、痛みのひどい和室は入館者のトイレに作りかえられたようですが、おおむね復元され、調度品もそのままだそうで、移築は気の遠くなるような作業だったことでしょう。旧軽井沢は霧も多く湿度の高い場所ですから、建物の維持管理は難しい場所です。この明るい湖畔で生まれ変わることで、寿命を延ばすことができるはず。館内ではヴォーリズ建築の粋な計らいを随所に見ることができます。
 
二階の「ナショナルトラスト」の展示は、守り活かすといった点でこの場所に相応しい内容のように思いました。静かな月曜日だったので案内の女性の方がいろいろと説明して下さいました。床材に長さの継ぎ目が無いことや、床下に防音のおがくずが入っていること、ほころんだ絨毯のこと、杉を腰板に使ってあること等々。窓から入ってくる湖面を渡る風の爽やかなこと!
ヴォーリズの建築―ミッション・ユートピアと都市の華ヴォーリズの建築―ミッション・ユートピアと都市の華 山形政昭 創元社 1989/11

次の目的地である「軽井沢高原文庫」へ。建物のすぐそばの桜がちょうど見頃でした。
まず敷地奥に旧軽井沢から移築されている「1412」山荘へ。堀辰雄夫妻も一時(S16−19)住んでおられたこの小ぶりの可愛い山荘は、その後深沢紅子夫妻も住んでおられたものです。高木がまだ葉を出し切ってないので春の日差しが差し込んで明るい裏庭にサクラソウやスミレ等が咲き誇っていました。
山荘の屋根に近い壁にいくつも穴が開いていました。副館長の大藤さんに伺うとどうやら啄木鳥の仕業とか。建物の中で悪さはしませんか?と伺ったところ、出入り自由ですからとのこと。土管を使った煙突といい、木の皮を張った外壁といい、とてもチャーミングな山荘です。今はもう展示されるだけの無人の建物ですが、何処と無く人の気配の残っているような。そのせいか、私はこの建物に時々会いたくなるのです。

本館二階では、急逝された堀多恵子さんの追悼展示がありました。深沢紅子さんの画かれた多恵子さんと辰雄さんの油絵が対になって飾ってありました。多恵子さんの穏やかな知的な魅力を強調した絵でした。作られたばかりの限定出版の『雑木林のなかで』も飾ってありました。表紙は噂には聞いていましたが、まさしくボッティチェリの「マニフィカトの聖母」でした。今まで出された本の表紙とはだいぶ趣の違う表紙で、結果的には最後の本となったわけですが、覚悟のようなものが感じられました。何時の日にか中も拝見したいものです。
次は「絵本の森美術館」へ。この春よりポール・スミザーさんの庭がオープンしました。季節折々の庭が楽しめるようになっており、木の下のせいかまだここではスノーフレークが盛りでした。これに伴って園芸にも力が入れられ、「吉田新一文庫」が一号館に移転したあとにガーデンショップができていました。団体さんが終わった後で、静かに木葉井悦子の絵本の世界と、自然体の庭を堪能しました。

〜続きは明日〜