otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

神無月の神がかり

軽井沢といえばシンボルともいえる活火山浅間山。その裾野に広がる標高1000mの浅間高原の冷涼な気候が最大の魅力であり、はじめに在日外国人がそれを好むようになり、教会、ホテルができ、さらに企業の寮、個人別荘が建つと、そこに横浜・神戸・東京の商店・飲食店の出店もふえ、急速に保養地として発展してきました。気候とともに日本離れした独特の雰囲気がこの地を特徴づけてきました。これといって産業のない軽井沢は、避暑地という商売に町をあげて取り組んできたのです。
その段階で碓氷峠はまだ難所であり、鉄道でも車でも、峠を越えてようやくこの地に辿り着くということで、つまり「ハードル」がそこにあったのです。しかし新幹線が信越線に取って代わったことで、時代は動きはじめます。峠というハードルはほとんど無いに等しく、どんどん人が無防備で上ってくるようになりました。ハイヒールで山に登るようなものです。滞在型の避暑地から、一時的な訪問地、観光地へと変わって行った事に、あまり皆気を止めなかったように思います。
一方、新幹線登場と同時に、信越線は「しなの鉄道」となりました。新幹線は軽井沢の次は「佐久平」。軽井沢駅舎も建て代わり、駅の南に大規模商業施設が出現したことで、この町は大きく変動しました。
それまで軽井沢は信越線の中軽井沢駅を中心に動いていました。役場も大きな病院も中軽井沢駅のそばにあり、駅前のロータリーには軽井沢、万座・草津〔北軽井沢〕、小諸に向かうバスやタクシーがひっきりなしに発着していました。軽井沢駅は峠を上り下りする列車のサポートをする電気機関車(EF63)2台を電車の取り付け、取り外しのために長く止まりましたが、乗り降りする人の数は圧倒的に中軽井沢駅の方が多かったと思われます。
つまり軽井沢は長野オリンピック以降、へそが真ん中から端に寄ってしまった、へそ曲がりの状態となったわけです。これってゆがみ?
かつて軽井沢駅の周りは「新軽井沢」と呼ばれていました。軽井沢宿〔旧軽井沢〕が峠の麓にあり、車の通る国道が通せなかった為、国道が町はずれを通り、つまり旧中山道街道筋からも大きく外れて、何も無いところに駅もぽつんとあったのです。
それに対して中軽井沢駅は、中山道が国道18号線と重なり、それが駅のすぐ近くを走り、さらに草津へ行く道もここから始まっていたので、つまりここが長年町内の交通の要所として栄えていたのでした。それが新幹線開通とともにがらっと様変わりして、町の玄関はくしくも町の東端となったのでした。
観光客のための玄関と、住民の生活のための玄関は、家に勝手口があるように別でも良いかもしれません。でも残念ながら、この変動の後急速に偏りが見られるようになったのです。
駅の南の商業施設は、住人にはおそらくほとんど用件の無い施設なので、町外れに有っっても一向に構わないものの、これができたお陰で町外、県外からの交通がここに向かって混み始めるという現象が日や時間によって著しくおこり、その波及効果でさまざまな問題が起きています。たとえば、わが追分はこの町の反対側の端に位置するのですが、東京から高速道路を使ってくる人は、高速道路を降りて18号線にはいるまでのアクセス道路が商業施設を起点に渋滞するため、町内に入ってからやたら通過に時間がかかり、今まで2時間で到着していたところが、3時間も4時間もかかるようになりました。また18号線上りも佐久上田長野方面から来る人の車によって、混むのです。道路の渋滞のひどさで路線バスはまったくあてにならず、利用が減り、廃止となりました。ますます車の利用に頼らざるをえない状況です。それらが脇道を抜け道として利用するということとなり、細い道が結構な交通量になっておちおち散歩もできない箇所も増えています。また町内で買い物をしたくても、循環バスは不便だし、道も混むとあっては、町外へ出ることになります。車を持っている人は良いけれど、車を持たない年配の方は買い物難民となっています。
現在、寂れてしまった中軽井沢駅周辺の整備が進みつつあります。うまく再生するでしょうか?いかなる整備も基本は「住民の人の流れ:生活」だということを念頭にお願いしたいと思っています。住民が生活しやすいところならば、人は戻ってきます。
ここに住民票を動かして2年半。こういったことにあまりに時間を取られるので少々辟易しています。この町ははらはらすることが多すぎます。
軽井沢町は今大きく変わろうとしています。ターニングポイントとでも言いましょうか。世代交代の時期に差し掛かっています。すでにできてしまっているものは、いまさらいろいろ言っても時間の無駄。せめてここから先のことは住民のための利便性が最優先で、暮らし良い町にしていって欲しいと思います。
背水の陣でここへ移り住んで、商売を始めている人は少なからずいるし、中軽井沢周辺にも新たな若い力が集まってきているようです。これは行く手にまだ光があるということです!
そろそろ落ち着いてきたこの時期、すこしいろいろ考えてみませんか?幸い、ここには思索の時間はたっぷりあります。ざっと5ヶ月!

現在店の隣は、何ごとも無かったように静まり返っているけれど、「ホンモノ市」が無事終わって一週間、まだ市に集った人々の賑わいの残像が、私のまぶたにはっきり残っています。追分村のいろいろな人に話を聞いてみましたが、問題点よりもやったことのプラスの面が沢山見受けられて、ちょっと嬉しいと同時に、是非ともこれをきっかけに各人が何かを思っていただけたら・・・と欲張りました。
来週あたり、関係者で集まって次に向かっての模索がもう始まります。ゆるゆると、でも少しずつでも前へすすめればいいなと思っています。あまりにも第一回がうまく行き過ぎて(あの晴天は神がかり的とさえ言う人もいて)、神無月のはずだけれど・・・いささか不安になっています。

引き続きどうぞよろしくお願いいたします。