otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

建物と一体化するということ

人工物と自然の共存するところにいるせいでしょうか?人の手ではどうこうできない「空」「地下」や「山」は別格としても、森や林、川も人為による部分は無いわけでは無いですが、それでも持ち前の力でそこに有り続けています。誰に指示されなくても木は勝手に黄葉したり、草に花が咲いたり、虫が鳴いたりといった風に。川はたとえ護岸されても、水はいくべきところへと流れていき、植林された森も水など撒かれなくてもどんどん成長します。
一方「建物」は人間が作ったものですが、銅像や碑などと違って、人が中を利用するために作ったものです。時としてその外観にも、存在にも意味を持たせることもあります。有名でなくても、風景写真を見ているとときどき草原中の一軒家や、山奥の家にそれを感じることがありますが、中も外にも建てられた意味があるという点では、寺や教会がいい例だと思います。
16日〔日〕本のまち・軽井沢の立ち上げ記念のイベントが旧軽井沢のユニオンチャーチで行われました。二本立ての豪華メニューで、私は番頭N氏に店番をお願いして、両方に参加してきました。歴史のあるこの建物が、旧軽井沢の真ん中、テニスコートの脇に佇んでいることは、それだけで意味があると思いましたが、今回その中でお話や朗読劇を拝見して、中も外も建てられた意味があるということを感じました。
初めに、午後一時から詩人の長田弘さんのお話がありました。タイトルは「本は語りかけてくる」。
お風邪気味のところ申し訳なかったのですが、長田さんのお話はまさしく「本のまち・軽井沢」の船出に相応しい内容で、本に携わるものとして、これほど心強いエールはないと思うお話でした。白樺の樹でできた十字架のもと、晩秋の午後の光が窓から差し込んだ木の空間のなかで(宗教的な意味ではなく)長田弘さんの声が立ち上がっていくような感じがしました。やはりこの場所がそういった目的(:言霊を人の心に届ける)を持って作られたのだということを実感しました。
詩ふたつ長田弘詩集 (ハルキ文庫)読むことは旅をすること―私の20世紀読書紀行本を愛しなさい
16:30からのレクチャー&リーディング「マクベス」は、まるで薪能を見ているかのように幽玄ささえ感じるものでした。古い教会のきしむ床の音や、隙間から入り込む冷気さえもまるでひとつの演出のような感じでした。衣装もメイクも無く、舞台装置も背景も無く、5人の俳優と限られた効果音だけでしたが、かえってそれが最大限に「言葉」の力を引き出していたようでです。この建物の中でやることで声が建物と一体化し、いっそうその効果が高まっていました。

使い捨てカイロを参加者に配りましたが、ひとつでは足りなかったかな?というのが、唯一残念だったこと。いっそのこと、事前にアナウンスをしておいて、ひざ掛けを持参してもらうとか、スキーウエアで来てもらうとか寒さを楽しむという荒業もありかなと・・・。入場無料でしたのでご勘弁下さい。
会場付近で珈琲や焼き栗の屋台など出ても面白かったかなと思います。
会場で平安堂さんが本を販売しましたが、筆者のサインもいただけるということで、結構売れていましたが、事前に本を読んで予習してこられた方が少なからずいて、それもまた嬉しく思いました。自分の不勉強さを恥じたことでした。

マクベス (光文社古典新訳文庫)

マクベス (光文社古典新訳文庫)

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)