otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

つないでいくこと・・・

二週間ぶりの東京市場のあと、追分に戻っていく本満載の車を見送って、私は踵をかえして地下鉄の入り口に入り、夕時のラッシュに潜り込んで鉄沿線の実家に顔を出してきました。前回帰ったのは夏の繁忙期の前だったので、5ヶ月ほど前ころ、その間病気もしたこともあり、予想したとはいえ、ちょっと見ない間に父はだいぶ老け込んでいました。80歳を超えると坂は一段と急になったような。たまたま両方の父が同じ年であり、むしろ義父の方がちゃんとしていたのですが、わからないものです。
泊まった翌日は庭仕事を少し手伝ってから、母の希望で三人でデパートにでかけ、父のジャンパーと帽子を買いました。ビジネススーツを脱いで、今は外出といえば病院へ行くぐらいという生活となると、着ていくのにちょうどいいジャンパーが無い、病気になる直前まで勤めていたので、平日の昼間に買い物に出るということはまず無かったのです。老夫婦二人で買い物に出る習慣もなく、下着のようなものならともかく、本人が行かないと買えない様なものなので、電車に乗ってデパートに行き買い物をするということが、母の気にかかっていたのでした。
小柄になった両親の歩調に合わせて、エレベーターがあるところを探し、エスカレーターも使い、ゆっくりと歩む午後の外出。うっかりすると私の足が速くて、二人を置いてきぼりにしてしまい、度々立ち止まりました。それでもまだ自分の足で歩いてくれるうちはどれほど楽かと、二人の丸まった背中を見ながら思ったことでした。
思えば、今年は激動の一年でした。今までの人生の中で、これほど沢山の人と別れることになった年も珍しい。そして、一方で新たな動きがあった年でもありました。
10月16日のユニオンチャーチでの「本のまち・軽井沢」立ち上げ記念イベントから、まだ一ヶ月経っていないのに、その後いろいろなことがあったので、ずいぶん昔のことのような気がしますが、あの場所で長田弘さんの講演をうかがうことができたことは、大きな確信となりました。大袈裟ですが、私はなぜここで本屋をするという大勝負に何も思い悩むことなく出たのだろうと、ずっと思っていたのです。長田さんのお話のなかにその「種子」がありました。とてもうまく語りつくせないけれど、一言で言うならば、「つないでいくこと」を見つけたということでした。
今思えば4人の親たちは多分そのことをわかってくれて、反対を一切しなかったのだと思います。今回一泊だけでで山に戻る私を引き止めることもしなかったのは、すでにこだわらなくなってしまっているせいもあるとは思いますが、それだけではないような気もするのです。義父も「病床にいるより早く山に帰りなさい」と言ったのが最後の会話となりました。

おいおい字に書き取っていければと思います。こんなことをふと思ったのは、先週店にいらした有る方が、私にぽんと「あなたはなぜここで本屋を始めたのか?」と大真面目で聞いてこられたからでした。
そして、本はいつか誰かが読んでくれるかもしれないということで成り立っているという長田弘さんの一言が耳鳴りのようにときおり聞こえてきます。

抜けるような青い空を仰ぐと、ここに海は無いけれど、本という世界がここの「海」になればいいかとふと思いました。海はいろいろなものを生み出す場所ですからね。最も今は私はそこで溺れかけていますけれど。