otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

屋根のないアトリエにて

なぜこの何もない追分村に、かつての文人や詩人、アーティストが集まってきたのかなと、立原道造の卒業制作の舞台にこの地を選ばれたのかなと、加藤周一がここでの思索を好んだのかなと。
私なりに考えてみたら、一言で言うならここには何もなかったからだと思いました。追分は何もなかったことが幸いして、時代に置き去りにされたことが、今になってはむしろ得がたい空間となっています。わからないものですね。

この追分の中心部にあった『油屋旅館』は、中山道がその機能を失った後もここが脇本陣だった頃のこの地の賑わいを後世に唯一伝えた貴重な存在でした。昭和12年に惜しくも火事でその歴史的な建物を消失した時も、すぐさま再興を望む声が起こり、13年春には道の反対側(山側)に丸子の建物の材木を利用する形で再建されたということも、その存在の大きさを物語っています。
その『油屋旅館』が女将さんの死去により数年前に静かに幕を下ろしたことはあまり知られていません。当店はまさにその隣地の建物の中で商売を始めたので、『油屋旅館』は今どうなっているかと言うお問い合わせを多々受け、その存在の偉大さを認識しながら日々営業していました。
昨年秋に「本モノ市」を油屋さんの庭を使わせていただいて開催した時、この場所がいかに自然に人をひきつける場所かと言うことを、磁力のようなものの存在を強く肌で感じました。大きく宣伝したわけでもないのに、ふと気がつくとこの庭が人で溢れていたのです。
暮れて行く秋の陽の中で、本モノ市に店を出してくれた方々と庭で歓談しながら、この場所をかつて立原道造が思い描いたような場所にできたら、どんなにいいだろうと思ったのです。
それから半年、様々な方々の有形無形の支援が後押しをして下さって、思い描いたことを実現することができる道が見えてきました。
「大事なものを保存」と言う考え方だけでは、立ち行かなくなっています。保存と同時に新たなものを産み出す場であることが肝心かと。お金も土地も自然も、そして思想も。
5年間古本屋をやっているなかでその思いは強くなっています。この何もないがらんどうのような空間が、その新たなことを産み出す場所:書斎、アトリエとならんことを願って、このたび大きな決断をしました。

これは私個人だけではなく、現代に生きる人すべてに課されたミッションのような気がしています。ひとりひとりは微力でも、同じ方向を向いて歩く人が増えてくれば、きっとそこから何かが生まれてくると。

この地は見えない何かがみえてくるそんな不思議な場所なのだと、浅間山の上を流れる雲を見ながら思うのです。それにしてもあれは火山の噴煙だか、雨上がりの水蒸気だか、積乱雲だか・・・。やがて天空に吸い込まれていきます。

屋根のないアトリエにようこそ。

このたび『油屋』を活用・運営していく事業を私どもが委託されました。我々二人の力ではいかんともしがたいこの大仕事を、この春から様々な方々が支援してくださって動き出しています。
7月30日から8月7日までイベント『ホームズの本棚@追分・油屋』を行う予定です。そこで新たな『油屋』を皆様にお見せするために現在作業中です。
 近隣の方々には、日々大変ご迷惑をおかけしています。申し訳ございません。ご理解とご協力、本当に感謝しています。