otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

水分のない季節

列島の天気図にはいくつかの傘のマークも見え、北海道では雪も降っているようですが、かなりのところが乾燥期に入っているようで、火事のニュースも多く見られます。追分では、ついにここ数日氷が張るようになってきています。今朝は今シーズン一番で、7mmほどの厚みがありました。零下3℃といえば霜ももちろん降りていおるはずですが、意外にあたり一面白いという感じはこのあたりではしません。林の中だからでしょうか。たぶん追分はもともと水分が少ないところなのだと思います。そのせいか、真冬でも霜柱もあまり見かけません。霜柱になる水分がないのです。
今日朝、佐久の方へリハビリに出かけたら、御代田あたりから畑は霜で真っ白でした。標高という点では御代田の方が低いですが、開けているので放射冷却をまともに受け、そして畑の土は水分を含んでいるのだと思います。追分はやっぱり不毛の地なんですね。

乾燥した11月半ばといえば、旧脇本陣油屋の消失がまさしく昭和十二年の今日のことでした。15軒間口の大店の油屋は隣家寄りのもらい火により炎上し、あっけなく焼失してしまったのでした。確かに今の時期、西から木枯らしが吹き、乾燥して丸まった落ち葉が、路肩のあちこちに吹き寄せられています。火事が怖い季節です。落ち葉焚きは安易にできないですね。
この旧脇本陣油屋の火事という出来事が、二人の作家の生き方を大きく変えたと考えます。火事によって原稿や多くの資料を焼かれながらも、すぐさま旧軽井沢へ移って、そのあとも寒い軽井沢の冬の中で執筆をつづけた堀辰雄と、帰るところをなくした小鳥のように、東北へ、あるいは九州へと旅に出ていった立原道造
小川誠一郎氏の尽力により、翌年(昭和13年)の夏には現在の油やの建物を建てて復興を果たしたものの、結局、立原道造は一度きりしか追分に来ることはなかったのです。おそらく、建築家でもあった道造は、追分という土地もさることながら、黒光りのする旧脇本陣の建物に魅せられていたのでしょう。あるいはこれこそ小説家と詩人の違いなのかもしれません。
この地に引き寄せられた多くの作家たちのことをあれこれと考え、カサコソと音を立てる落ち葉ふみをしながら、人のない林道を歩く今日この頃です。山が大きく見える時分となりました。浅間山にはついに白い雪の筋ができました。噴煙の量が増えたのは気温が下がったせいでしょうか?

追分会の会長もされた岸田英明氏が亡くなられました。
今夏は追分でお目にかかることができませんでした。バハマショーツに夏でもウールのカーディガンを羽織って、飄々とした粋な追分人でした。
私たちの活動を最初から支えてくださった大恩人でした。多大なるサポートを頂き、本当に有難うございました。
 20日:お通夜18:00− 21日:告別式10:00− 於:桐ケ谷斎場(東京)