otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

予報以下

  


朝、カーテンの外は確かに真っ白だったけれど、予報では終日雪だるまのマークが付いていたものの、結局日中は降らなかったのでした。積雪は1cm位。道路の上はほぼ積もっていないも同然で、林道を行く車は結構スピードを出していました。

本屋はストーブをがんがん焚いて、お待ちしていましたが、店は静かなもので、天気予報の雪だるまのオンパレードにやられたという感じでしょうか。予報はあくまで予報、でも用心する人もやはりいらっしゃると思う。
積雪よりも寒さが強かったです。
1月並みの寒さということで、おそらく終日零下でした。可哀想に集荷の宅急便のお兄さんや、郵便屋さんがみな、鼻をすすっていました。お歳暮のシーズンで忙しく、彼らは風邪を引いている場合ではありません。

夕方テレビを見たら、全国各地で寒さと荒れた天気に事故も起きていたようで、滅多に雪の降らないところで大雪による被害が出ていたとのこと。今年の二月を思い返して、経験のしたことのない積雪というのは本当に痛めつけられます。雪は見た目はきれいですが、寒いし、重さはあるし、足元が悪いし、結構なワルです。数日たって、雪は無くなってしまうと、犯人(雪)なきあとの人の中に残るダメージが思いのほか大きいことを、この春身を持って体験しました。
そのトラウマが、今朝のカーテンを開けた時に一瞬頭をよぎりました。

番頭が仕入れた本の山が届いて、その箱の中から室生犀星の『信濃の歌』を一冊取り出して読んでいます。昭和21年の1月、戦後の物資のない時代に10000万部刷られたものです。神田小川町の清水書房から出た本です。わら半紙のような紙に刷られたお金のかかっていない作りのソフトカバーの本ですが、銀座の古本屋の書店票もついています。70年近く人々の間に流通してきたこの一冊の本。70年を時を経て、題の通りの信濃の国に今存在しています。その軽さと、相反した時の重みとを、手の平に感じながら、静かに読ませてもらっています。デジタルには決してなりえない紙の本です。この本には「追分」もたびたび出てきます。

立原道造の死に際して、室生犀星が記した「立原道造を哭す」という文章も載っていて、いの一番に読みました。