otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

遠くが近く、近くは遠く

otobokecat2015-03-13

世間は「GO WEST」ということで、北陸新幹線の長野⇔金沢開通に湧いているのを横目で見ながら、私は直前に東京へ行ってきました。

長野新幹線の乗り納めというわけではありませんが、なにせ3月14日ダイヤ大改正の前日ですから。鉄道が嫌いではない私としては、ちょっと興味深い日ではあります。12日、13日と出かけてきたのですが、12日になかったものが13日にはあるといった具合で、切り替わる直前には結構「ははーん」ということが駅や列車車内のあちあこちらにありました。帰りは飛び乗りすることとなって、券売機で切符をばたばたと買おうとしたら、「長野新幹線」のボタンはすでになく、一瞬焦りました。すでに「北陸新幹線」でした。汗かきかき車中の人となりました。

金沢まで東京からわずか2時間半で行けるということは、九州や東北に新幹線が延伸したのと同じくらいの意味が、日本海の富山・金沢の人々にとってはあるでしょう。おそらく夢にまで見たことだと思いますので、それについてはおめでとうございますと言わなくてはなりません。

一方で、上野から直江津まで信越本線がつながっていた時代の沿線住民にとっては、鉄路がズタズタになってしまったことに、いうに言われなぬ時代の流れを感じる出来事です。過去のことではありますが、特に横川⇔軽井沢間の断絶は、へき地にトンネルが開通していく時代にあって、完全に逆行していて、高速時代に置き去りにされた空虚な気持ちが否めません。今回は長野駅以北でも、新幹線駅は「飯山」だけだと思うので、「北しなの鉄道」になった駅周辺の方には、複雑な思いもあるでしょう。

同じことが都内の私鉄沿線にも起きています。私の実家のある世田谷区上北沢は、京王線上北沢駅が最寄りですが、新宿から遠くまで行く特急、急行、快速が一本のホームの両脇をすり抜けていきます。かつては新宿からは特急以外ならば何に乗っても、一つ手前の桜上水駅で必ず各駅列車に接続していましたが、もうそれはなくなり、今はひたすら新宿から「各駅停車」に乗り、後続特急に通過させながら、匍匐前進で進むことになりました。「代田橋」「芦花公園」も同じです。遠方の「調布」と到達時間は変わらないのではないかしら。
高速時代は遠くが近く、近くが遠くなるのです。

このダイヤ改正で、消えていく電車もたくさんあります。トワイライトエクスプレスのようなものは、新聞にも写真入りで掲載されていました。
こんなことをお祭り騒ぎの中でぼやいている人間は少ないかもしれないけれど、マスコミはこぞって新幹線開通に関連する旅番組をしているので、つい愚痴がこぼれました。もちろん、置いてきぼりになって佳いこともあるのです。国道から外れた「追分宿」もまあその一例ですが、人は生きていかなければならないわけで、そう簡単なことではありません。

同じことが日本全国でおそらく起きているはずです。光があっていることだけに集中して関心を寄せると、ひずみが出るかなとちょっと思います。実は4年前、ついに九州に新幹線が延び、一方東北は青森まで新幹線が走ることになり日本全国がつながる直前に、3・11が発生して、お祭りムードは吹っ飛びました。とても象徴的なことであったと私は思っています。

今回の東京に行った一番の目的については、明日書きます。こちらが本題なんですけれど。