otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

そこに扉はあるか

東京へ出かけた理由は、「東京子ども図書館」という団体が設立40周年を迎え、理事長である松岡享子さんが記念講演を行われたからでした。こどもに本の扉を開ける楽しさを!ということに尽力してこられた松岡さん。

この日の講演会は、まず「子どもと本のたのしい出会いー東京こども図書館の活動」という映像の上映にはじまり、次に当館事務局長である張替恵子さんによる「40年のあゆみをふりかえって」というとても分かり易い活動報告がありました。
おはなしのろうそく 1その後休憩をはさんで、松岡享子さんの記念公演「子どもの本ーきのう・きょう・あす」がありました。
松岡さんのお話の半分は中国の妖精の「おはなし」で、もとより子どもと本にかかわってこられた方ばかりが会場に集っていたとは思いますが、満席のよみうり大手町ホールを埋めた皆がおはなしに聞き入って、こんなに多くの方が会場にいるとは思えない静けさでした。これは東北の学校の卒業生に贈る言葉として話されたおはなしだそうです。卒業にあたり、このお話を聞くことのできた子供たちは、なんと幸せなことでしょう。
「言葉」という妖精が、かすかな明るいおまじないの粉を撒きながら会場を飛び交っていたようにみえました。

こどもの本の作家、出版社、おはなしをしてくださる人、図書館など、子供と本の架け橋をしている方は沢山いらっしゃいます。その人々を一本の糸だとすると、その力を丹念により合わせながらもっと力強いものとして、あるいは編んで広くしていくことをしなければ、一本の糸では持ちこたえられません。公益財団法人「東京子ども図書館」という織物に編み上げた、その編み手こそが、松岡さんであったと私は思います。

子どもと本 (岩波新書)

子どもと本 (岩波新書)

戦後10年たち、少しづつ焼け跡から立ち上がってきた頃に、家庭文庫という私設のごく小規模の児童図書館ができ始めました。東京子ども図書館のもととなったのがこのうちの4つの文庫で、石井桃子のかつら文庫(昭和33 杉並区荻窪)、松岡享子の松の実文庫(昭和42 中野区江原町)、そして名もなき一主婦の世田谷上北沢(昭和30)と中央区入船町(昭和31)の土屋文庫でした。

「皆さんは学校がお休みの日、勉強やお手伝いのない時、近いところに本の一杯あるきれいお家があって、すぐ行ってよむ事が出来たらいいなあーと思いませんか、こんど繁の湯の前にそんなお家が出来ました。土屋児童文庫といいます。どうぞみなさん大勢でいらっしゃい。」

公共図書館が十分にない時代、また塾や電子ゲームもないときに、こういうチラシがまかれたのです。近所の子供たちは本を棚から出して自由に読めて、やがて貸し出しもされるようになり、昭和40年代は開館の土曜日にはたくさんの子供たちが訪れました。

この呼びかけを行った主婦が、半世紀の先達である祖母であることを、私は誇りに思っています。
現在、信州の寒村で古本屋をやっていることで、祖母がかつて灯したろうそくに、またちょっと火をつけられたような、そんな気持ちがしています。その寒村とは祖母も石井桃子も好んだ場所でもあるのですから。

なにかにつまずきそうになったとき、そこに別の世界へ行く扉はあるでしょうか?
それが本の扉であったり、自然の扉であったり…。
さいわい、此処はその両方がある場所だと思っています。
扉を開けさえすれば、そこから先には、果てしない宇宙が広がっているはずです。

おとなにも子供にも、どこか別のところへ開く扉が、あなたの近くにあるといいですね。

えほんのせかい こどものせかい

えほんのせかい こどものせかい