otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

大きな駅と小さな駅

ついに北海道まで新幹線が到達し、昨年の金沢延伸と同じく、到達点周辺の話題で持ちきりです。
感無量の人もいれば、新型のカッコいい車両に感激の子供たち、駅周辺の観光案内などがあふれています。
おめでたムード一色のようにも見えますけれど、どうも私は小さな駅に縁があるらしく、お祝い一色ではないだろうとちょっとひがんでみたり。
私はわりに小さな駅に縁があります。例えば、実家の最寄は京王線上北沢駅。いまや希少価値的な一本ホーム。ようやく地下通路はできたのですが、それまでは各駅停車しか止まらないだけではなく、通過電車のために踏切が上がらなくて、駅の目の前にいるに電車に乗れなかったりしました。隣の八幡山駅がいつの間にか格が上になってしまって、そこと1kmも離れていないため、廃止になりかねません。
長年住んでいたのは中央線の西荻窪駅。ここは荻窪と吉祥寺のはざまで、休日は快速が停まらない。
亭主の実家は阪急の門戸厄神駅で、大きな西宮北口で乗り換えて、一つ目です。
息子の高校は京王線代田橋駅でした。
そして今の最寄はかつてはたまには特急も停まった信越本線信濃追分駅。今はしなの鉄道の一駅。まあ、となりの中軽井沢よりはましですが。
まあ、こういう立場上?猜疑心があったのです。この華々しさのなかに、静かに幕を引いた話もきっとあるのではないか。
やはりそうでした。
新幹線が通ることそのもので、赤字が始まるという北海道は、廃線は今に始まったことではないものの、この春で廃止になる駅が数多くあるとのことでした。一日の乗降数がかぎりなくゼロに近い駅では、住民は廃止は「仕方がないか」という流れではありましたが、たとえ使う人がいなくても、毎日トイレの掃除や雪かきをボランティアでやっている人が最後までちゃんといるという話には、不覚にも涙がこぼれてしまいました。
高速交通時代は、都会と都会だけを結ぶようになっていきます。途中の小さな駅は通過でとばされるだけでなく、ついには廃駅になってしまう。経済的に立ち行かないということで、随分いろいろなものが無くなってゆきました。
今回も夜行列車が消えました。

追分駅で一時間に一本の電車を待っていると、遠くから電車のヘッドライトの光が見えてくるときのあのほっとした思いは何とも言えません。ダイヤ通りに走り続け、昭和20年8月15日玉音放送の流れるときであっても、いつも通りに電車が走っていたという話は、私の最も好きな電車の話です。

青函連絡船ものがたり (たくさんのふしぎ傑作集)

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