otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

呪縛

言葉にできないことが多い出来事の多い昨今です。
      
特に強く思うのは、オリンピックという魔物に支配されていないだろうか?ということです。

直近では夏のリオ五輪、また2020年の東京五輪の呪縛にあっている人がなんと多いことか。
影響力の大きいものならばこそ、もう少しプラスにできないものかと。活かせないものかと。
どうもマイナスばかりが目について仕方がないのは、縁遠い立場だからそう思うのかしら。

日本国内を見ても、東京五輪、冬の札幌五輪長野五輪によって急激な成長をしてきました。整備、成長はいいことかもしれないが、開催期日が決まっていることで、強引に進められたことは多くはないでしょうか?
長野五輪のときも、新幹線がそれに合わせて開通しました。
軽井沢町内でも立ち退きで、立ち木トラストが強制執行された土地もありました。

2020によって、また同じことがあちこちで起こるような予感がしています。
華々しさの陰で、無残に踏みつけられていることはない?でしょね。

選手としては、メダルを取るばかりがすべてではないと思います。
国内予選会を見るだけでも、さまざまなドラマを目の当たりにでき、いつになくスポーツ観戦をしています。
参加できるようになり、涙にむせて喜びを言葉にできない若い選手の姿は初々しいけれど、能力があっても、四年に一度に合わせられず、五輪に出るチャンスに恵まれない不運な選手もいるでしょう。

オリンピックに出ること自体がアスリートにとっては一大事。
でも種目によって、出場の基準がおおきく違うことを今回初めて知りました。
国内で一番とってもダメなんですね…。

観戦するうえでは、日本から一人でも参加していることによって、見るきっかけになるようにも思うのですが、標準タイムに満たないからと言って、その種目に誰も出場しないというのはいかがなものでしょうか?

この件について、聞きかじったところによると、オリンピックに出る選手の中から選出されて、出場するということはありなんだそうです。
誰も出場しないというわけではないらしいです。

メダルに遠い選手がいると、チームの士気にかかわるとは、戦争ではあるまいし、あまりにもメダルの呪縛にとらわれていると感じるのは私だけでしょうか。
特に若い選手に対しては、できるだけ門戸を広くしてほしいと思うのです。
参加することが必ず糧になるはずです。

トリノで唯一のメダル、しかも金メダルをとったスケートの荒川静香選手。
その荒川選手の長野五輪で滑っていた姿を覚えている人は少ないでしょう。ちょっと小太りで、ほほを赤くして滑る荒川選手は13位でした。やがて美しいイナバウワーを決めて、その大会の日本選手唯一の金メダルを取ることがあるなんて、だれが予想できたでしょうか?
若いうちに大成する選手が、種目以外の私生活で問題を起こすことさえもあるわけですし、まじめに真摯に向き合っているアスリートは、長い目で見て大事に育てていくという文化が必要かと。
サッカーの場合、参加できるのは二十三歳以下の若い選手に限るという規則はよいと思います。

特にメダルがちらつくことによって、その輝きが目くらましになっては、元も子もありません。