otobokecat’s blog

たまに本を読む猫

おやすみなさい朝まで

腕がだるし、肩、腰も重し、膝も固し…。
ここ数日の雪掻き、というより雪遊びに等しい日々のつけが溜まってきました。日頃の運動不足解消にもなると、雪掻きは割とせっせとやる方ですが、それも最初の1か月くらい。
日は長くなり、日差しもどんどん強くなってきていることは感じてはいますが、実はここから先、特に2月は忍の一字となります。3月になるとうんざり顔に。
道路などの雪を掻いたところ、斜面のついた屋根の雪は消えてくれますが、手を付けないところは低温の土地柄、なかなか居なくならないのです。それだけでなく少し溶けたり、踏み固めた雪が凍るのが始末が悪い。
いかんいかん、まだ1月のうちからもうぼやきが始まっている…。
こういう時は、笑いや音楽や言葉にいやしてもらうしかないかと。

幼年の色、人生の色詩人長田弘のエッセイ集『幼年の色、人生の色』を持ち歩いて、ことあるごとに読んでいます。

このエッセイ集は昨年(2016年)11月に出版された本ですが、帯によると2015年春に亡くなった長田さんが自ら編んだ最後の随筆集とのこと。なぜこの本がこのタイミングで出版されたのかを、私はとても知りたいのですが、知るすべがありません。

本来、随筆というものはもう少し軽い気持ちで読んでもいいような気がするのですが、詩人である長田さんの文章は、私にとっては指標のようなもので、しかもこの本はすでに書かれた文章からご自身で選んで編まれたいうことは、自らのフィルターもかかっているわけで、私には本当に大切な一冊なのです。

最後から二つ目に「福島、冬ざれの街で」と言う文があります。
長田さんがセレナーデのための詩を書き、その歌曲の初演の前日、故郷福島市の音楽堂でリハーサルに立ち会ったのち、宿舎まで歩いて帰る道すがら、慣れ親しんだはずの街が見知らぬ街になっていたというものです。3.11の二年後に書かれたものですが、この文章からにじみ出る絶望に近い暗さ、凍える寒さからすると、春が必ず来る凍土の上を歩く今の私の思いなど、なんとも軽いと感じます。

熊本や、大火に見舞われた糸魚川のこの冬の風景はいかばかりか。

セレナーデのタイトルは「おやすみなさい」
「おやすみなさい」が20回繰り返される歌詞ですが、最後は、

 …
  おやすみなさい私たちは一人ではない
  おやすみなさい朝(あした)まで

朝は、春はきっとくると念じて作られたのだろうと。